日本炒飯協会のぺーいちがゆく!昔ながらの食堂と町中華を求めて!

「炒飯で人類を腹一杯幸せにする」をスローガンに掲げている日本炒飯協会町中華合力部統括部長のぺーいちです。2019年から協会にジョインし、炒民として小さく活動しています。このコロナ禍で、ブログ活動もしばらく自粛しておりましたが、2022年からは日本炒飯協会を中心に活動を再開いたします。 ただし、当初目的としていた「町中華」に対する想いも強いため、チャーハン縛りにならない情報もアップをしていくと思います。とにかくいろんな形で表現していこうかと思いますのでご支援のほどよろしくお願いしまーす。

【閉店】昭和を生きた純廣東料理 慶楽が幕を閉じる... vol.12

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会社近くの中国料理屋が店をたたむ。

有楽町ガード下向かいにある 純広東料理 慶楽。

2018年12月28日、年内一杯までの営業。

 

理由は後継ぎに関する問題との噂があるが正確な事は当店からは聞いていない。

 

そもそも慶楽がどう言う店だったのか簡単にまとめると

・創業68年(昭和25年)

・料理業態 中国料理(純広東料理

池波正太郎が何度か訪れたと言われているお店

・有名なメニュー:上湯炒飯(スープ入りやきめし)、もやし焼きそば

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スープ炒飯は中華版 だし茶漬けのイメージが強いが、元々広東料理には例湯(ラントン)というスープがありそれをつかった調理として考案された様だ。

 

スープ炒飯のことは以下の記事からもご参照いただきたい。(2008年に書かれた取材記事)

dancyuタイアップ企画

 

 

この時はあまり意識せずにスープ炒飯をたべず、焼きそばが食べたくてそちらを注文する。

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牛肉炒麺 1,030円

コスパ感は無いが、昔ながらの雰囲気と味わいはオープン当初から変わる事がないのだろう。

 

何故、店をたたむ町中華の店が多いのか?

それは団塊世代のご主人が1つの区切りをつけた事にあるのだろう。

店主も60代なら若いほうで主流は70代の戦後受け継いだ店や裸一代で築き上げてきた店がちょうど辞め時に差し掛かったのだ。

それらの話は既に 北尾トロ氏等が 町中華探検隊という本で述べている。

※以下はとある記事の一文を引用したものである。

「つぎのオリンピックまではがんばりたいね。そこまでやればもういいかな」

2016年に入った頃からそう語る店主が現れてきたのだ。東京オリンピックの話題がメディアを賑わせるようになったからだろう。道路の拡張工事や施設の新設など、東京は変化の時期に差し掛かっている。変貌し続ける都市にこれ以上ついていくのは大変すぎる。ならば2020年を節目に引退しようか…。

 

なるほど。。

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戦後、立ち上げた創業者も今はいない。

今はその後継者が鍋を振るがいつも行く様な町中華とは異なり若干高級感を感じさせるお店。

 

昭和のレトロな中華博物館で今年最後の伝統料理を味わってみてはいかがでしょうか。

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