町中華に定義なんてない!?と真っ向から否定笑
先日「二極化」について書いた後に、気がつきいた事がありました。
実は、北尾トロ先生が別の記事で「町中華の定義」について書かれていました。
それに全く気がつかず、自分の先走りな想いを書いてしまったなと感じました。。
そうそう。町中華3種の神器(カツ丼、カレーライス、オムライス)がそろっているかどうかとか、デコラ張りのテーブルがあるかどうかとかね。でも、すぐ例外になるようなお店が現れて「町中華は定義できない」っていう境地に至ったね、今は。
今年5月から新元号 令和に入り、今後の町中華文化を語りたくなる気持ちは同じで
町中華そのものが生活の一部になっているからなのかも。だからこそなくなってしまう現実をちゃんとこの目に焼き付けておきたい。と言う想いがあるのかもしれません。
僕自身、周りの目を気にぜず自論をブッぱなしてますが「先生からは定義づけは難しいんじゃないの?」と述べられたのです。
まぁそれぞれの観点がある中で、僕の考えが間違いではないにせよ、正解でもない。
むしろ正解は無いと言う事なんだろう。
「町中華」と言う曖昧な言葉のイメージを一人一人が勝手思い描いてとりあえず足を運んで確認するのがグルメをする以上にグルメを楽しむことなんだと考えます。
その想いがあるからこそ、探検隊なんだなぁ。。
中でも北尾トロ先生は随分前からそのことを感じ取っていたから隊員を引き連れて店を巡っているんだろう。この記事の北尾トロ先生の見解から学ぶ事も沢山あります。
この期に及んで先生が定義づけしなかった事は
それもそれで確かにおっしゃる通り。わかります。
定義はないなりにこれが町中華?ってことを伝えている
「気がつくとふっと町から無くなっている。」とか
「厨房丸見えのライブ感。」とか。
それだけでなんかお店と客との一体感が楽しい。
安価な寿司屋に来ている雰囲気かも。
カウンター席で、高級店の様なおもてなしはないにしろ、その雰囲気が一つのサービスとして確立している。あまり客に媚びないあたりが逆に気が楽というか。なんかそう言う感じ。
ただの頑固親父も多いけど店によって顔が違う。
「今作っているあのチャーハンは僕のだろう」とか予想しながらテレビの音量が程よくBGMに♫厨房を眺めている。そんなシーンをよく記憶しています。
僕は町中華探検隊の隊員ではないし、入る気もないし、イベントに参加するほど人との関わりを持つことが得意ではないのですが、この人たちと同じ感覚を持てたのは嬉しいしきっと話が合うんだろうな。と私個人勝手に思っています。
そして、いろんなお店に行けば行くほど答えは出なくなるのがわかります。木更津界隈や栃木界隈の町外れにあるポツンと町中華的なヤツは、まさに僕が定義した町中華項目には該当しなかったりするんですよねヽ(´o`;
定義というよりは自分がどれだけ町中華を感じられるかが大事
ちなみに、次の写真はこれまでに食べてきたお店のごく一部ですが、
どれが町中華でどれが町中華じゃないか?ご自身の感覚で感じ取ってほしいです!!
自分にとってはこれは違うんじゃね?って思う店も沢山あるとは思うのですがそれは心のどっかに置いといて、実際に店に行って確かめてほしいです。
と言うわけで先日僕が定義づけした10項目が以下の写真にどれだけ該当しそうか?雰囲気だけでもまずは感じとってみてください。
- 暖簾や屋根の色が赤い事。
- 創業20年以上である事。
- 店前には観葉植物が置いてある事。
- 家族経営、男が鍋を振る事。
- カウンター席、テーブル席が赤い事。
- チャーハンがお椀型である事。
- カレー、オムライス、カツ丼がある事。
- 混むと相席させられる事。
- テレビが見られる事。タバコOKな事。
- 招き猫が置いてある事。たぬきではない。
結論
まぁ何でもいいかなぁ。食事を楽しめれば。
中には町中華でない、単なる食堂も多いが、その佇まいは町中華のジャンルに限りなく近いと思うんですよね。
だから、答えはないと言う気持ちもわかるんです。
でも前回はあえて傾向として答えを出しました。
自分としてどれも町中華だが、その中でも自分が思う店をそう捉えています。
個人的見解の元、自分が実際に足で学んだ店でここは懐かしさや雰囲気に浸かれる店。みんな同じ答えじゃなくてもいいと思うんですよね。
明確な定義づけができないからこそ、魅力があるのだと思うんです。
数値や定義づけできない感覚的なものは
言葉では語りつくせないのだと思います。
だからこそ、経験、体験はいつまでも必要で
ネットだけでの希薄な体験、擬似的体験よりも直接イマジネーションを持って行動してほしいなと思います。とは言え、町中華には底知れぬ感情をふるい立たせるものがあり、僕もその魅力に取り憑かれている1人なのです。