昨年伺った「民生食堂 天平」
こちらに連れていきたい友人を連れて再訪してきました。まず、昨年行ってきた様子は以下からご覧ください。
前回の続きで、前から気にかけていた看板猫
残念ながら昨年末、天に旅立たれた様です。。
ご主人にその時の話を伺いました。
いつもは枕元に来ない猫が
亡くなる前夜に珍しく枕元で添寝してきたそうです。
「猫の話をすると辛くなるんだよ」
と泪ぐんでおりましたのでその話は心に留めておき。
話は変わって・・・
さっき作ったばかりの『きんぴらごぼう』があるけどたべるかい?って出してくれました
身体に染みる『きんぴらごぼう』
そして、酒のつまみにちょうどいいのが『かますのひらき』
こいつを焼いてくれました
旨いです
最近は見慣れぬ客人が遠方から来るのだと嬉しそうに語っていました。
忘れないようにカレンダーにどこからきたお客さんかをメモしているんだよ。
(カレンダーに確かに各地名が書いてありました。)
今はほとんど客入りが減ったけどさ、ご近所さんくらいかな来るのは。
でも最近は見慣れるお客が増えているので何かで紹介されたのか?
わざわざきてもらうのに店が閉まっていたらもったいないからねぇ
ってことで通し営業でやっているよ。とご主人はとても元気な様子でした。
「区画整理は決定事項でもうそんなに長くないけど最後まで全うする」
と言ってました。
「そもそも民生食堂とはどういう意味ですか?」
と尋ねると僕は2代目だからよくはわからないんだけどさ…
と簡単に話してくれたのが戦時下の話だった。
食糧難の時代は食堂も登録制だったとか。
ひとりひとりの米の量も決められていて、
主に外食で暮らす人は「外食券」を交付してもらい、
登録された食堂で食事をしていたとのこと。
戦後、外食券制度が廃止になったタイミングで外食券食堂が、
都に指定されて「民生食堂」となったそうだ。
昔はいくつもあった民生食堂も今はほとんどなくなっている。
最後の〆は焼飯
ウチは炒飯とは言わず焼飯って言ってるね。
これは親父の代からだからまぁとくに
細かいことはわからない。
油はやっぱりラードだね。
その方が美味しいもん。
と落ち着いた空間の中でお店の特徴を思う存分聞かせてくれた。
ここのお店は由緒ある都に指定された食堂で
もう民生食堂と言う名のつくお店は目にすることがない。
とにかく貴重なお店が区画整理でなくなると言うのだ。
ご主人ももう78とご高齢
飾ってある娘さんももう40を過ぎ
後継ぐあてもないので区画整理で立ち退く時がきたらと
流れに身を任せるのだそうです。
国指定の文化財として残しても良いのだが。。
最近の唯一の楽しみは遠くから来るお客さんが増えたのでそれを知るのが楽しみだそうです。
また気が向いたらちょくちょく遊びに行きたいなと思った。
皆さんも機会があったらぜひ伺ってみてはいかがでしょうか。