日本炒飯協会のぺーいちがゆく!昔ながらの食堂と町中華を求めて!

「炒飯で人類を腹一杯幸せにする」をスローガンに掲げている日本炒飯協会町中華合力部統括部長のぺーいちです。2019年から協会にジョインし、炒民として小さく活動しています。このコロナ禍で、ブログ活動もしばらく自粛しておりましたが、2022年からは日本炒飯協会を中心に活動を再開いたします。 ただし、当初目的としていた「町中華」に対する想いも強いため、チャーハン縛りにならない情報もアップをしていくと思います。とにかくいろんな形で表現していこうかと思いますのでご支援のほどよろしくお願いしまーす。

二極化していく町中華

前回は、二極化していく日本の町中華について軽く触れたが、全くもって具体的な話はしなかったので、もう少し具体的な話をしてみたい。

この辺りの話はたまに聞かれるのもあり、個人的な主観は強いが、改めて自分用のメモ程度に留めておく。なので鵜呑みにしないでほしい。さらっと流し読みでm(_ _)m

imount69.hatenablog.com

 

町中華重要文化財!?

…と、まずはこれまでの町中華の定義が、どんなものだったかを振り返る。だいたいの事は北尾トロ氏が述べているが、それプラスで僕が巡って来た店を感覚的にまとめる。

と以下の項目で3つ該当すれば町中華なんだと思った。該当ポイントが多ければ多いほどその町中華度合いは高いと考えられる。

  1. 暖簾や屋根の色が赤い事。
  2. 創業20年以上である事。
  3. 店前には観葉植物が置いてある事。
  4. 家族経営、男が鍋を振る事。
  5. カウンター席、テーブル席が赤い事。
  6. チャーハンがお椀型である事。
  7. カレー、オムライス、カツ丼がある事。
  8. 混むと相席させられる事。
  9. テレビが見られる事。タバコOKな事。
  10. 招き猫が置いてある事。たぬきではない。

 

外観イメージとしてはこんなんですね。
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僕が想像する今後の町中華世界

二極化と言うと答えは決まって新旧になる。故に

と言う表現を考えてみた。何となく意味合いが伝われば良いのかなと思う。

そしてこの2項はこれまでの町中華 10項目が該当しなくなる。

と言うのも従来の町中華1.0が重要文化財に当り、今後の町中華町中華2.0になる。笑笑

 

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建物そのものが登録有形文化財になるのはこの様な秩父にある店のことを指すのだろうが、それ以外にその町の常連客が独自に定めたお店を、僕は町中華重要文化財と称したいのだ。

では、そんな重要文化財の店がなぜ無くなっていくのか?それはすでに取り上げられている。

老朽化・都市開発・物価の上昇・高齢化・後継問題…これらが容易に考えられる。そして、これらの問題を総称すると多様化社会が取り巻いていると言える。

 

しかし、この多様化の時代の中で町中華が滅びゆくもの。と考えるにはまだ早い気がしてならない。

時代の流れに沿って町中華文化も少しずつカタチを変えていくからだ。

恐らく今の時代だからこそ、町中華という括りでフューチャーされる名店はたくさんあるがそれが30年前はどうだったのだろうか?町中華というふうには表現されなかった。

今でいうラーメン文化が根付いて来て、ラーメン店は増えている。これは30年〜50年前の中華そば屋(今でいう町中華)となんら変わらないのではとも取れるのだ。

恐らく、ラーメン文化はなくならないが、その時代に流行った店は長きに渡りいずれ同じ町中華文化の様に変化を遂げていくのと何ら変わりがない。

では、何故この様な表現で大きく2つに分類したのか?引き続き、興味があれば読み進めてほしい。

 

昭和時代の暮らしにあった食文化

まずは味の継承 町中華と表したが、そもそも高度成長期の日本食文化で最も浸透してきた料理はラーメンだと思う。

 

以下講談社北尾トロ氏の記事を引用

GHQの占領下時、アメリカの小麦政策で学校給食にパンが導入されたが、麺業界ではラーメン人気が本格化し、メニューに取り入れるところが激増した。また、焼き餃子も人気を博し、昭和20年代後半から、安い値段で食べさせる町中華が勢力を拡大したと思われる。

店主は中華の修行をした者ばかりではなく、洋食や和食出身の人もたくさん含まれていたので、ごく自然にオムライスやカツ丼も取り入れられていったらしい。

時々無性に食べたくなる「町の中華食堂」が絶滅の危機!(北尾 トロ) | 現代ビジネス | 講談社(2/3) 

 

ラーメン文化は今後も普遍な食べ物として様々な味を持って生息し続ける。ましてや製麺業者がある限り、ラーメンは無くならないし、とにかく仕入れを安く抑えるなら麺類で勝負する方がいいのだ。

こだわりを持てば持つほど原価もあがり、その辺りの店と同じ価格では立ち行かなくなるのだ。

 

多様性の時代が町中華を襲う

町中華が減る、最も大きな要因が「多様性」だと述べた。多様性の時代が生む、スパイラルだ。

戦後日本がバブル期を迎え、様々なトレンドで日本文化そのものが変化した。昔のように飲食店がなりたい職種とは異なり職業の幅も広がってきた。また、女性も職業をする事が当たり前になり、男だけが料理をする文化ではなくなりつつある。頑固親父よりも綺麗でおしゃれさを演出する空間がはやることで世の中のニーズに変化が生じて来たのだ。その結果、飲食店で働くということが考えにくい世の中になって来た。しかも労働時間も長く、キツイ仕事だ。 

現代の飲食業界は、職人でなくとも成り立つ世の中になってきたのだ。寿司屋もそうだ。

全て機械で均等に作ることができるため、料理そのものをやる人よりもオートメーション化する機械を開発するエンジニアの方が増えているからだ。

そのため、昔ながらの町中華を体現できるほど実力も無いものは料理一本でやってく覚悟が薄れている様にも感じる。

そう言った考えを持つことが普通になり、過去の男社会で生き抜いた職人気質の人間は減りつつある。そのため、厨房に立つという若者が減って来ているのだと考える。 

 

 

 

今回はここまでにしたい。

次回は、味の継承 町中華と創作進化系 町中華について触れたいと思う。

 

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